【多事争論】板野友美の知的メディア論をニートが考察してみた。
先日、AKB48の公式FBページにて、板野友美が突如、自身の「知的メディア論」を展開し、話題となった。
http://www.j-cast.com/2012/10/23151106.html?p=all
今まで、さして知的なイメージなどもなかった彼女のいきなりの発言に、キャラチェンジなのか?などと、発言そのものよりも、発言した理由についてに関心が集まっていた(結局、投稿自体は投稿を管理している会社のCEOの発言だった)が、あえて、僕は彼女の発言をフィーチャーしてみようと思う。
彼女が語った「知的メディア」は以下のようなものであった。
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ブログがメディアとして成立するのは、気の利いたタイトルとある程度の分量のテキストを投稿することで、書き手の努力が反映されているからだ。努力するからこそ、相応のクオリティもそなわるというものだ。
投稿自体が簡単であればあるほどクオリティは担保できない。だからメディアにはなりづらい。Twitterはソーシャルメディアではなく、ソーシャルネットワークなのだ。
画像投稿はより簡単だが、有名人や大事件のスクープ写真ならば誰もが見たがるが、単なる日常風景を切り取られても、巨大な波紋を生むことは難しい。
つまり、TwitterにせよPinterestにせよ、事件性や新規性のあるコンテンツを投稿できなければ、メディアにはなり得ない。
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要約すると、こんな感じだろうか?
①ブログがメディアたるのは、一定の分量とクオリティがあるからだ。
②そのクオリティは、投稿へ費やす労力に比例する。
③投稿が簡単ほど、クオリティは担保できない。
情報が整理できたところで、考察をしてみる。
まず、僕が一番思ったのが、ソーシャルメディアを従来のマスなメディアと同じように考えているのではないか、ということ。
特に、引っかかったのが、以下の発言。
ーー だから、Twitterはソーシャルメディアではなく、ソーシャルネットワークだ。
確かに、Twitterはコミュニケーションツールであると思う。しかし、同時にソーシャルメディアでもあると僕は思う。
むしろ、ソーシャルメディアは、コミュニケーション型のメディアであると思っている。
そもそも、ソーシャルメディアとは、双方向性の非常に高いメディアであり、その根本はコミュニケーションである。
初めの発信者はいるが、基本的には受け手と送り手という概念は殆ど無い。
誰でも発信者になれる。
その発信したもののクオリティなんて関係ない。
だから、無駄な情報もたくさんある。
だが、その無駄な情報に価値を得て、楽しむ人たちもいる。
それが有益かどうかを判断するのは各ユーザーであり、発信者でも、ましてや第三者が関与することではない。
1人でもニーズがあれば、それが情報に、メディアになりうるのだ。
この点が、世の中のニーズを汲み取って、大衆にうけるような情報を常に発信しなければならないマスなメディアとの大きな差である。
お昼に食べたラーメンの感想、街で見たかわいい猫の写真、そんな何気ない日常の断片がメディアになりうる。
ソーシャルの世界において、「メディアとして発信すること」と、「コミュニケーションすること」の差はもはや殆ど無くなってきている。
その最たる例が、ニコニコ生放送、Ustreamを始めとするライブストリーミング配信である。
ラジオやテレビなどの既存のメディアを模し、誰でも気軽にテレビやラジオなどを配信ができるツールである。
いわば、超個人的なメディア。
その多くは、画面の横にコメント欄を設けており、配信者はリアルタイムで視聴者からのコメントを見ながら、視聴者とコミュニケーションを取りつつ、放送していく。
内容は、テレビのように企画をして視聴者を楽しませるようとする番組もあれば、特にテーマもなく視聴者との対話を目的とした放送もある。
自分がゲームをプレイする映しながら、ゲームを実況したり、視聴者と対話をするゲーム実況放送などもある。
これらの放送は、視聴者に向けて自分の何かを伝える超個人的なメディアであると同時に、視聴者とのコミュニケーション手段でもある。その境界は完全にない。
なぜなら、個人そのものがコンテンツになっているからだ。
配信者の中には、口座を公開し、視聴者からお金を得て放送している者もいる。
NHKの受信料すら払わない人がいるこの時代に、お金を払って、いち素人の放送を見るのだ。
それだけ彼らにとっては価値のあるメディアになっているのだ。
また、最近では、芸能人も積極的にこの超個人的なメディアを使うようになってきた。
今までも、ユーストリームやニコニコ生放送の公式放送などでの放送はあったが、最近、より視聴者とのコミュニケーションに充填をおいたユーザー放送(一般のユーザーと同じようにお金を払い、いちユーザーとして放送すること)をする芸能人が増えてきている。
しょこたんや下川みくに、そして、つい先日、ロンブーの淳がニコニコ生放送のユーザー生放送を開始した。
ロンブー淳は、もともと淳の休日という名前で、オフの日を使ってツイキャスやUstreamで配信していたが、満を持してニコニコ生放送にきたのだ。
ツイキャスやUstreamがオープンなメディアであるのに対し、ニコニコ生放送は、少し閉鎖されたクローズドなメディアである。
だが、それゆえ、視聴者との距離は近い。
また、画面がコメントを流れるインターフェースからわかるように、Ustreamやツイキャスよりも、コメントの重要性が高く、配信者と視聴者のコミュニケーションに重きを置かれた設計になっていて、より濃密なコミュニケーションが可能である。
芸能人の利用が増えてきたのも、この点が大きいと思う。
今、なぜ若者がTVを見なくなったかといえば、携帯電話やインターネットなどの進歩でどこでもコミュニケーションできるようになったから。
昔は、家に帰ったら、もう友達と遊ぶことはできなかった。できても、電話くらいだ。
でも、今では、メールやチャットは勿論、複数人で会話することもできるし、顔を見て会話もできる。一緒にゲームもできる。
友達がいなかったり、友だちが忙しい時はどうする?
同じように暇な人をネットで見つけて、遊べばいい。
つまり、コミュニケーションの手段とバリエーションが増えて暇がなくなったのだ。
一日中、遊ぶことができるのだから、暇つぶしのテレビを見る必要はもうない。
では、テレビに出る側の人間はどうするか?
視聴者の私生活、コミュニケーションのサイクルに入り込むしかないのだ。
だから、多くの芸能人は、Twitterをやり、少しでも視聴者のタイムラインへ入り込んでその存在を示す。
そして、視聴者にリプライを返し、コミュニケーションする。
視聴者とコミュニケーションを取り、友達になることで、興味を深めようとするのだ。
その流れで、より濃密なコミュニケーションが取れるニコニコ生放送へ流れてきているということなのだろう。
元々、ニコ生、というかニコニコ動画というは、一部のマニアックな人達がいるオタクなイメージが強かったが、いまや、カラオケのランキングの上位に何曲も入っているボーカロイドの人気や、ニコニコ生放送発のアーティストの誕生など、ニコニコ動画というコンテンツが市民権を得てきたことで、ライトなユーザー層も多く参加するようになった。
そこで、満を持して、芸能人たちが流れてきたという感じである。
// 追記 //
再考。
上記のように書いていたのだが。
よく考えたら、マスコミの人間がニコニコ動画などのネット配信について、まだそこまで、その力を認めているかといえば、おそらくまだまだ軽視されているのが現状で、今、ニコ生などをやっているのも遊び半分でやっていると考えたほうが良い。
むしろ、ニコ生運営の方が、よりニコ生の周知をするために知名度のある芸能人に頼んでいると考える方が自然であるのかもしれない。
話がそれてしまったが、結局、板野氏が言ったようにソーシャルメディアとSNSを明確に区別することはどんどん難しくなっている。
メディアとコミュニケーション、公的立場と私的立場などの境界線がなくなってきた。
それゆえ、制作コンテンツの内容はもちろん、制作者の人柄、キャラクターまで含めた、いち個人としていかにコンテンツ力があるかというものが問われる時代になってきている。