私生活について。

酸素と海とガソリンとアニメと演劇と映画と本とガジェットとハンバーガーとピザとラーメンと篠崎愛とたくさんのミンティアを浪費してる。

【映画】これはエヴァではない、ヱヴァである。しかし・・・||エヴァQを見てきました。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 予告

先日、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを見てきました。

サブタイは、金曜ロードショーを見た時にCMでやっていたエヴァQのコピー「これはアニメではない、エヴァである。」からです。

サブタイトル通り、この映画は、新劇場版がエヴァ”(アニメシリーズ~まごころを、君にまで)ではなくヱヴァ”ヱヴァンゲリヲン新劇場版。以降、すべて新劇場版)なんだなということを改めて感じた作品でした。

 

正直、前作の破までは、なんだかんだ言いつつも新劇場版は、アニメシリーズや旧劇場版の続編であると思っていたんです。

旧劇で人類補完計画が遂行されて、シンジが創りだした新しい世界が新劇場版の世界なんだ!なんていう個人的な推測(ソースは2ちゃん)もしつつ、少なくとも、舞台はパラレルだけど、物語は旧劇場版とつながっているんだ(アニメシリーズの学園エヴァみたいに)と勝手に思っていました。

だけれども、この映画を見ていく途中に気がついたんです。

エヴァ”は、とっくに終わっていたんだと。

新世紀エヴァンゲリオンは、まごころを君にの時点で完結していたんです。

もっと言うなら、アニメの最終話で終わっていたのかもしれない。

 

そもそも、今思っていみれば、この新劇場版シリーズの仮題は『エヴァンゲリオン新劇場版 REBUILD OF EVANGELION(仮題)』。REBUILDとは再構成という意味で、どこかのインタビューで書いてあったように、”一度壊して、再構成した”作品である。

つまり、庵野監督は、初めから続編を作るとは言っていなかったんです。

ちょっと違うけど、再構成という意味では、マクロスFのアニメと劇場版の違いみたいな感じです。

雰囲気が違うという意味では、ナデシコのアニメと劇場版の違いを思い出しました。

それを”エヴァ”の続きが見たいと思っていた僕らが、勝手に妄想して続編だと思い込んでいただけという。

 

だから!

新劇場版に、これまでのエヴァらしさを求めてはいけないんです!

はなから、新劇場版は、”エヴァ”とは別の作品なんですから。

 

そうです。この映画は、エヴァ”っぽくないです。

まず、戦闘シーンが多い!

これは、僕の主観的なイメージだけかもしれませんが、エヴァは戦うまでのグダグダするところが8割くらいを占めていると思っていたので、今回は乗っけから最後まで戦闘シーンが多くて、エヴァ同士の戦いや、戦艦での戦闘シーンもあったりと、エヴァらしからぬ本格ロボットアニメ的なノリに少し戸惑いました。

また、Qでは、碇ゲンドウ率いる「ネルフ」が目論む、フォースインパクトを、ミサト率いるアンチネルフのレジスタンス「ヴィレ」が止めるという分かりやすい対立構造ができたことで、今までのエヴァではぼやけていた戦う意味が明確化しました。

わかりやすくなったのは良いのだけど、何のために戦っているのかわからないのに戦う、戦っても結局救われない無意味な戦いをするのがエヴァだと思っていたので、こうやって目的や敵が明確化されること違和感を感じました。

(結局、フォースインパクトを防いだところで世界が元通りになるわけではないので、救いも戦う意味もないのですが。)

 さらに、今までの”エヴァ”では、子供しか戦えませんでした(戦っても全く役に立たなかった)。

だが、今回の作品では、初号機を動力とする戦艦を使って、ミサトさんたち大人たちの力だけで(アスカとマリの協力もありましたが)使徒らしきものを殲滅していました。子供しか戦えないというのは、エヴァの特徴のひとつだと思っていたので、この点も衝撃的でした。

 

しかし!!

 これらの違和感みたいのは、前作の”エヴァ”のイメージを引きずっているだけのことで、ファーストガンダムガンダムAGEを比べて、こんなのガンダムじゃないといっているようなもの、元々が全く別の作品と考えるべきなんです。

 

とはいうものの!!!(何度も逆説を使ってしまっていますが。)

 新劇場版は、まだあと一作残っています。

また、序、破からの伏線がまだ全然、回収されていない(回収されずに終わることも大いにあると思いますが・・・)。

しかも、次作のタイトルは、

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

今まで、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」とカタカナの表記が違っていたのが、「エヴァンゲリオン劇場版」と旧劇場版と同じ表記に!!

しかも、:||とは1回だけ繰り返すという意味を持つ記号。

これは、もしかすると・・・

次回作が楽しみです。

 

 

 

【多事争論】神聖かまってちゃんのライブ配信終了のお知らせ。ネット時代にミュージシャンが食べていくには。

11月15日の深夜、神聖かまってちゃんのメンバーちばぎんが、ニコニコ生放送の放送内で、今後、神聖かまってちゃんがライブでのインターネット配信を無期限休止することを発表した。

理由は、ライブの集客アップやライブ映像をDVD化するためとのこと。

 

 

ライブ配信と言えば、ライブの客が数人しかいなかった頃から続けている神聖かまってちゃんの代名詞とも言えるものである。

ボーカルのの子が歌いながらパソコンに映るコメントを読んで、モニタの向こうのリスナーたちと会話する姿こそ、神聖かまってちゃんのライブのスタイルであった。

彼らと会場にいるファン、そして、ネットから見ているユーザーが作り出す、何とも言えないあの世界観は、他のバンドのライブでは味わえないものであったと思う。

また、ニコニコ生放送で配信するようになってからは、ランキングやニコニコクルーズでこの配信を見つけ、ファンになった人も多くいるのではないだろうか。

新しく入ってきたファンがそれまでの軌跡を追えるという歴史的な意味でもライブ配信は重要な役割を果たしていたと思う。

ともかく、私は神聖かまってちゃんにとってライブ配信とは無くてはならないものだと思っていたので、今回の件は大変ショックであった。

 

集客やライブのDVD化が理由らしいが、正直、ライブ配信をやめることが集客アップやDVD売上増加につながるとは持ったく思えない。おそらく集客もDVDも現状とほとんど変わらないだろう。

なぜなら、ファンの多くはただ単にライブをタダで見たいのではなく、PC上でライブに参加できる体験を味わいたいのだ。

そもそも、配信で見れる音質や映像は荒く、途中で切れたりプツプツになっていたりと、正直、全然聞けたものではない。それでも、ユーザーがライブ配信を見たいのは、コメントでライブに参加するというかまってちゃんのライブでしかできないライブ体験をしたいからであると思う。

なので、配信で見たから、DVDは買わないということはほぼないと思う。

 

とはいえ、この音楽業界の不況の中で生き残るために彼らが試行錯誤したい気持ちはよくわかる。

ネットで無料で音楽がダウンロードできてしまうこの時代に、ミュージシャンがどうやって稼いでいけばいいのか。これは、今後の音楽業界にとって大きな問題である。

1000円を100万人から取る昔のような方法はもう無理だ。

AKBは、10万を1万人から取る手法でお金を稼いだ。

しかし、アイドルとは違い、純粋に音楽が聞きたい人たちにはその手法は難しい。

ミュージシャンが稼げる新しいシステムを作り上げて行く必要があるのだ。

 

そこで私も少し考えてみた。

まず、1000円を100万人がダメなら、100円を1000万人から取るビジネスはどうだろう。しかも、コンテンツの対価という形ではなく、その人、そのバンド自体に寄付するような感覚がよい。

コンテンツ毎にお金を払っていくシステムでは、デジタルで複製できてしまう時代には厳しいからだ。

コンテンツではなく人にお金を払う、いわば人に投資する感覚である。

 

そこで考えたのが以下のような方法だ。

作成されてない段階でアルバムの予約券を販売、一定量売れたらアルバムを販売するのだ。

アルバムは、まだ作られていないためユーザーは当然どんな内容かわからない、実在しないコンテンツをそのアーティストを信用して投資するのだ。一定量売れたら販売するいわば、完全受注性なので、一定の売上は保てる。

さらに、予約権の1口100円の値段を下げて、また1人何個でも買えるようにすれば、参加のハードルが下がり、お金を払いたくないユーザーでも参加しやすくなる。

予約権の購入数に応じて特典がもらえるなど、他のユーザーと大口ユーザーの差別化をはかることでより多く投資してもらうことを狙う。

 

このように新しいビジネスモデルを考えることも必要だが、一番だいじなのは、消費者である私達の意識の改革だと思う。

昔、道端で野菜が置いてあって、となりにお金を入れるところがある無人の野菜販売があった。あれは、まさに消費者と農家の信頼関係で成り立っている商売であった。

あのように私達、消費者がアーティストと信頼関係を築いていかなかればならないと思う。

良い物、好きなものには、お金を払う。

その心がけをみんなが持つことで大分変わると思う。

 

楽しいね

楽しいね

 

【映画】『あの娘が海辺で踊ってる』を見ました。


【第24回東京学生映画祭】あの娘が海辺で踊ってる【予告編】

 

ぴあフィルムフェスティバルでハーレスを撮っていた山戸結希監督の『あの娘が海辺で踊ってる』を見ました。

現役女子大生監督です。

ハーレスが好きだったのと、山戸結希自体に興味があったのと、上演後のトークショーのゲストが童貞をプロデュース等で有名な”奇才”松江哲明監督だったので、わざわざ東中野まで終電ギリギリになりながら遠征しに行きました。

 

映画は、『あの娘が海辺で踊ってる』と『Her Res~出会いをめぐる三分間の試問3本立て~』とあの娘が海辺で踊ってるの後日談を描いた3D作品(演劇)『さよならあの娘』の3本立てで、その後に松江監督とのトークという流れでした。

 

作品自体どうこうの前に、同世代や年下の子が活躍している場に行くと自分にとっていい刺激になるなと改めて感じました。悔しいのと、うらやましいのと、自分の日常への戒めを感じて、とても良い。

 

特にこの山戸監督。

上智大学に映画研究会を立ち上げ、処女作、2作目、バンドじゃないもんのPVとやりたいことをやって、結果を残してきている。

私が彼女に惹かれたのは、作品や受賞歴よりも、何もない状態から映画研究会を立ち上げ、次々に自分のやりたいことを実現していく実行力に魅力を感じたからである。

今回の上映でも、3D作品とは名ばかりの演劇作品『さよならあの娘』や上映後配られた「あの娘新聞」、上映後に主人公マイコがアイドルとして握手会&サイン会をするなど、やりたい放題。

今、やりたいこと、できることをすべてやりつくしているといった感じだった。

そういう彼女のいまの状況が羨ましく思うし、自分もぐだぐだ言ってないで行動しなければと思いました。

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という、自分の感傷はこのくらいにして、ここからは、作品の感想をば。

うまくまとめられなかったので、思ったことを箇条書きにします。

 

・音楽の使い方が彼氏彼女の事情とかエヴァっぽい。

・富山優子「CPU」、前野健太「友達じゃがまんできない」が良い。

・海、女子高生とかきらきらしてる。

・飯島みなみさん、メガネの子が個人的に好き。

 

・学園祭みたい。映画のクオリティもこのイベント自体も。

・演技と音が気になった。

・アフレコ多すぎ。

・早口とへらへらするのはやめた方がいい。

・音が聞こえ辛いとこがいくつかあって、もったいない。

 

Twitter等、ソーシャル上では、とても大反響で絶賛の嵐のこの作品ですが、誰も悪いことは言わない風潮が気持ち悪いのであえて厳しいことを言うと、個人的には、インディペンデント色が強いというか、悪く言えば、高校の学園祭で上映されていた作品みたいだなと思ってしまいました。

私は普段、自主制作系の映画を見ないので、どこまでのクオリティを求めていいのかわからないのですが、期待して見に行ったので、その分、あら荒削りな部分が目についてしまいました。

制作費や機材、人材の問題で100%の思い通りのものができないんでしょうね。

そう考えると、前回見た「かしこい狗は吠えずに笑う」はインディペンデントにしては、すごいクオリティが高かったんだなと思いました。

 

一番気になったのは、演技と音です。

外の撮影が多いのと海辺での撮影のため、演者の声が聞きづらい、そのためアフレコが多用になってしまっていて残念でした。

演技に関しては、本谷有希子のクレイジーハニー(演者に素人を起用した作品)でも思ったのですが、やはり演技がある程度しっかりしていないと物語の世界観に入っていきずらく、ちょっと冷めてしまいます。

新設の同好会ということで、おそらく演者も初めてやる人などもいたのでしょうから、棒読みや演技力の問題は分かるのですが、早口で何をいっているのか聞き取れない、笑ってしまっているなどは、さすがに気になってしましました。

 

ストーリー的には、思春期の少女の葛藤を描いたものだったのですが、登場人物たち、特に主人公にリアリティを感じなかったので、あまりその世界に引きこまれませんでした。女性のかた達には共感できるものがあるのでしょうか。

特に、私は登場人物に共感できる点を求めるタイプなので一層、それを感じたのかもしれません。

また、これは彼女の作品を通して思っていることなんですが、トークなどを聞いていたり、自分で0から立ち上げ頑張っている実行力からも彼女自身は熱い人なんだと思いますが、作品からは思いとか伝えたいことはあまり伝わってこない感じがします。

単純にそういう映画を作る気がないのかもしれませんが。

個人的に、そういう私小説みたいな作品のが好きなので、一度そういう作品も見てみたいなとも思います。

 

あと演者としては、飯島みなみさんとPFFの時にも壇上にあがっていたメガネの人が個人的に好きでした。

メガネの人は、どっちもちょい役でしか出てないですが、雰囲気あるし、いいキャラクターだなと思いました。

最後の3D作品(舞台)のダンスでも、一人セーラー服の下にTシャツを着ているし、それも目立つ青い色を着ているし、一人だけダンス遅れていたし。その割にひょうひょうとしていて、なんか良いです。

飯島みなみさんは、個人的にああいう子が好きだというのと、叫んだ時の表情がよいし、演技が好きだったので、他の作品も見てみたいです。

 

私はこの作品に関してはすこし厳しい感想でしたが、今回トークライブにきた松江監督をはじめ、業界の人からの評価は非常に高いですし、松江監督いわく、山戸監督は3年以内に大衆映画を撮る人ですので、チェックしてみて損はない作品だと思います。

むしろ、来年くらいにもう撮っていそうな気もしますが・・・

そういう大人たちの流れに流されずに、これから規模の大きな作品を撮るようになっても自分のやりたいことをやって突き進んでほしいと思います。

 

【本日のおやつ】ピザポテト 明太マヨ味

本日のおやつは、ピザポテトの明太マヨ味!

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お味の方は、ちょっと辛めのピザぽって感じです。

あんまり、明太マヨ感は感じませんでした。

でも、ピザポ好きなので美味しくいただきましたが、自分は普通のピザポのが好きです。

 

カルビー ピザポテト明太マヨ味 70g×12袋

カルビー ピザポテト明太マヨ味 70g×12袋

 

 

 

【多事争論】板野友美の知的メディア論をニートが考察してみた。

先日、AKB48の公式FBページにて、板野友美が突如、自身の「知的メディア論」を展開し、話題となった。

http://www.j-cast.com/2012/10/23151106.html?p=all

今まで、さして知的なイメージなどもなかった彼女のいきなりの発言に、キャラチェンジなのか?などと、発言そのものよりも、発言した理由についてに関心が集まっていた(結局、投稿自体は投稿を管理している会社のCEOの発言だった)が、あえて、僕は彼女の発言をフィーチャーしてみようと思う。

 

彼女が語った「知的メディア」は以下のようなものであった。

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ブログがメディアとして成立するのは、気の利いたタイトルとある程度の分量のテキストを投稿することで、書き手の努力が反映されているからだ。努力するからこそ、相応のクオリティもそなわるというものだ。

   投稿自体が簡単であればあるほどクオリティは担保できない。だからメディアにはなりづらい。Twitterはソーシャルメディアではなく、ソーシャルネットワークなのだ。

   画像投稿はより簡単だが、有名人や大事件のスクープ写真ならば誰もが見たがるが、単なる日常風景を切り取られても、巨大な波紋を生むことは難しい。

   つまり、TwitterにせよPinterestにせよ、事件性や新規性のあるコンテンツを投稿できなければ、メディアにはなり得ない。

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要約すると、こんな感じだろうか?

①ブログがメディアたるのは、一定の分量とクオリティがあるからだ。

②そのクオリティは、投稿へ費やす労力に比例する。

③投稿が簡単ほど、クオリティは担保できない。

→だから、Twitterはソーシャルメディアではなく、ソーシャルネットワークだ。
④画像投稿はより簡単だが、事件性のあるもの以外は巨大な波紋を生めない。
⑤つまり、TwitterにせよPinterestにせよ、事件性や新規性のあるコンテンツを投稿できなければ、メディアにはなり得ない。
 
要は、TwitterやPinterestは基本的にコミュニケーションツールであり、メディアには
なり得ないと言いたいのだろう。
日常のつぶやきや何気ない日常は、単なる生活の断片、事実、事象でしかなく、それらを分析・考察した上である程度の労力をかけて投稿しなければ、メディアとして発信して良い情報にはならないということだ。
 

情報が整理できたところで、考察をしてみる。

まず、僕が一番思ったのが、ソーシャルメディアを従来のマスなメディアと同じように考えているのではないか、ということ。

特に、引っかかったのが、以下の発言。

ーー だから、Twitterはソーシャルメディアではなく、ソーシャルネットワークだ。

 

確かに、Twitterはコミュニケーションツールであると思う。しかし、同時にソーシャルメディアでもあると僕は思う。

むしろ、ソーシャルメディアは、コミュニケーション型のメディアであると思っている。

そもそも、ソーシャルメディアとは、双方向性の非常に高いメディアであり、その根本はコミュニケーションである。

初めの発信者はいるが、基本的には受け手と送り手という概念は殆ど無い。

誰でも発信者になれる。

その発信したもののクオリティなんて関係ない。

だから、無駄な情報もたくさんある。

だが、その無駄な情報に価値を得て、楽しむ人たちもいる。

 

それが有益かどうかを判断するのは各ユーザーであり、発信者でも、ましてや第三者が関与することではない。

1人でもニーズがあれば、それが情報に、メディアになりうるのだ。

 

 この点が、世の中のニーズを汲み取って、大衆にうけるような情報を常に発信しなければならないマスなメディアとの大きな差である。

お昼に食べたラーメンの感想、街で見たかわいい猫の写真、そんな何気ない日常の断片がメディアになりうる。

ソーシャルの世界において、「メディアとして発信すること」と、「コミュニケーションすること」の差はもはや殆ど無くなってきている。

 

その最たる例が、ニコニコ生放送Ustreamを始めとするライブストリーミング配信である。

ラジオやテレビなどの既存のメディアを模し、誰でも気軽にテレビやラジオなどを配信ができるツールである。

いわば、超個人的なメディア。

その多くは、画面の横にコメント欄を設けており、配信者はリアルタイムで視聴者からのコメントを見ながら、視聴者とコミュニケーションを取りつつ、放送していく。

内容は、テレビのように企画をして視聴者を楽しませるようとする番組もあれば、特にテーマもなく視聴者との対話を目的とした放送もある。

自分がゲームをプレイする映しながら、ゲームを実況したり、視聴者と対話をするゲーム実況放送などもある。

これらの放送は、視聴者に向けて自分の何かを伝える超個人的なメディアであると同時に、視聴者とのコミュニケーション手段でもある。その境界は完全にない。

なぜなら、個人そのものがコンテンツになっているからだ。

配信者の中には、口座を公開し、視聴者からお金を得て放送している者もいる。

NHKの受信料すら払わない人がいるこの時代に、お金を払って、いち素人の放送を見るのだ。

それだけ彼らにとっては価値のあるメディアになっているのだ。

 

また、最近では、芸能人も積極的にこの超個人的なメディアを使うようになってきた。

今までも、ユーストリームニコニコ生放送の公式放送などでの放送はあったが、最近、より視聴者とのコミュニケーションに充填をおいたユーザー放送(一般のユーザーと同じようにお金を払い、いちユーザーとして放送すること)をする芸能人が増えてきている。

しょこたんや下川みくに、そして、つい先日、ロンブーの淳がニコニコ生放送のユーザー生放送を開始した。

ロンブー淳は、もともと淳の休日という名前で、オフの日を使ってツイキャスやUstreamで配信していたが、満を持してニコニコ生放送にきたのだ。

ツイキャスやUstreamがオープンなメディアであるのに対し、ニコニコ生放送は、少し閉鎖されたクローズドなメディアである。

だが、それゆえ、視聴者との距離は近い。

また、画面がコメントを流れるインターフェースからわかるように、Ustreamやツイキャスよりも、コメントの重要性が高く、配信者と視聴者のコミュニケーションに重きを置かれた設計になっていて、より濃密なコミュニケーションが可能である。

 

芸能人の利用が増えてきたのも、この点が大きいと思う。

今、なぜ若者がTVを見なくなったかといえば、携帯電話やインターネットなどの進歩でどこでもコミュニケーションできるようになったから。

昔は、家に帰ったら、もう友達と遊ぶことはできなかった。できても、電話くらいだ。

でも、今では、メールやチャットは勿論、複数人で会話することもできるし、顔を見て会話もできる。一緒にゲームもできる。

友達がいなかったり、友だちが忙しい時はどうする?

同じように暇な人をネットで見つけて、遊べばいい。

つまり、コミュニケーションの手段とバリエーションが増えて暇がなくなったのだ。

一日中、遊ぶことができるのだから、暇つぶしのテレビを見る必要はもうない。

 

では、テレビに出る側の人間はどうするか?

視聴者の私生活、コミュニケーションのサイクルに入り込むしかないのだ。

だから、多くの芸能人は、Twitterをやり、少しでも視聴者のタイムラインへ入り込んでその存在を示す。

そして、視聴者にリプライを返し、コミュニケーションする。

視聴者とコミュニケーションを取り、友達になることで、興味を深めようとするのだ。

その流れで、より濃密なコミュニケーションが取れるニコニコ生放送へ流れてきているということなのだろう。

元々、ニコ生、というかニコニコ動画というは、一部のマニアックな人達がいるオタクなイメージが強かったが、いまや、カラオケのランキングの上位に何曲も入っているボーカロイドの人気や、ニコニコ生放送発のアーティストの誕生など、ニコニコ動画というコンテンツが市民権を得てきたことで、ライトなユーザー層も多く参加するようになった。

そこで、満を持して、芸能人たちが流れてきたという感じである。

 

// 追記 //

再考。

上記のように書いていたのだが。

よく考えたら、マスコミの人間がニコニコ動画などのネット配信について、まだそこまで、その力を認めているかといえば、おそらくまだまだ軽視されているのが現状で、今、ニコ生などをやっているのも遊び半分でやっていると考えたほうが良い。

むしろ、ニコ生運営の方が、よりニコ生の周知をするために知名度のある芸能人に頼んでいると考える方が自然であるのかもしれない。

 

 話がそれてしまったが、結局、板野氏が言ったようにソーシャルメディアとSNSを明確に区別することはどんどん難しくなっている。

メディアとコミュニケーション、公的立場と私的立場などの境界線がなくなってきた。

それゆえ、制作コンテンツの内容はもちろん、制作者の人柄、キャラクターまで含めた、いち個人としていかにコンテンツ力があるかというものが問われる時代になってきている。

 

ハガキ職人リストバンドが届いたよ。

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先日、ハガキ職人リストバンドが届きました。

ニコニコ動画の公式チャンネル「R藤本のユーモアチャンネル」でネタが採用された景品です。

次は、ユーモアTシャツを目指して頑張ります。

 

「R藤本のユーモアチャンネル」

http://ch.nicovideo.jp/channel/rfujimoto

 

【本日のおやつ】ケトルチップ チェダー&サワークリーム

本日のおやつは、

ケトルチップ チェダー&サワークリーム味

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味は、ハラペーニャと迷ってサワークリームを購入。

プリングルスのサワークリーム好きだから、サワークリーム買ったけど、味が全然ちがくてがっかり。

食感が硬いし、個人的には、あまり好きじゃなかったです。

 

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厚切りです。